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白籏 史朗(しろはた しろう)基調講演・コーディネーター
1933年、山梨県大月市に生まれる。1951年写真の道に入り、1962年プロ山岳写真家として独立。日本の山のほとんど、世界山岳のほとんどすべてを取材、それぞれの集大成を出版。高山植物への造詣は50年にわたり、その著書も多数。自然保護には昭和35年から取り組み、数々の表彰を受ける。2000年、世界ただひとりのキング・アルバート功労勲章を授与される。
NPO法人日本高山植物保護協会々長のほか、国立公園協会理事、富士学会理事ほかをつとめる。
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田部井 淳子 (たべい じゅんこ) パネリスト
1939年、福島県三春町に生まれる。昭和女子大卒業後、社会人山岳会で登山活動に力を注ぐ。1969年「女子だけで海外遠征を」合言葉に女子登攀クラブ設立。1975年エベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として世界最高峰エベレスト8848mに女性世界初の登頂に成功。1992年女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となる。現在、年7〜8回海外登山に出かけ41カ国の最高峰に登頂。山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT-J)代表
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別府 桂 (べっぷ かつら) パネリスト
1951年、長野県東御市に生まれる。北海道大学大学院理科研究科博士課程を終了後、中学校教論を経て信州大学教育学部付属志賀自然研究施設へ。現在、同施設長として原生林が残る志賀の森で、学生の指導はもとより自然を求めて訪れる観光客や観察会対応のかたわら、自然だより「季節の中で」や「長池の四季」を出版。日本昆虫学会評議員や信州昆虫学会誌編集委員をつとめる。著書に「自然と生きるためにできること」ほか。
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岡本
光之(おかもと みつゆき) パネリスト
1962年、東京都千代田区に生まれる。北海道大学農学部卒業後、環境庁に入庁。本省を振り出しに、大山隠岐、中部山岳(立山黒部駐在)、阿蘇くじゅう、大雪山の各国立公園と本省を交互に勤務。福井県に出向し自然保護課長を経験した後、環境省にもどり本省勤務、山陰地区自然保護事務所長を経て昨年10月より組織再編で設置された長野自然環境事務所に所長として勤務。中部山岳、上信越高原の両国立公園、及び長野、富山両県に係る野生生物行政を担当。
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丸山 晴弘 (まるやま はるひろ) パネリスト
1940年、長野市に生まれる。1961年北穂高岳滝谷ツルム正面壁、1963年鹿島槍ヶ岳荒沢奥壁ダイレクトルンゼ初登攀などののち1965年ニュージーランド登山、1971年イラン・ダマバンド山5,671m頂上からスキー初滑降。現在ニュージーランド山岳会員、長野県山岳遭難防止対策協会講師を務める。著書に「中高年の山歩き」「遭難のしかた教えます」(山と渓谷社)など。2001年、関一県警本部長より警察部外功労特別表彰、2003年、NHK関東甲信越地域放送文化賞受賞。
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せんだ みつお (タレント) 司会
1947年、樺太庁真岡町に生まれる。幼少の頃より子役として活躍。世志凡太(せっしぼんた)の弟子入りした。ビリーバンバンのオリジナルメンバーでもあった。1970年「ぎんざNOW」(TBS)、「うわさのチャンネル」(日本テレビ)の司会を務め、人気が爆発した。両手を顔の横に上げ、前後に動かしながら「ナハッナハ」と言うギャグはインパクトが強烈で宴会ゲーム「せんだみつおゲーム」として親しまれている。ビートたけしの「ナハッナハッ」「コマネチ」は元々せんだのギャグである。
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最近の観光ブーム、山野草ブームの中で、多くの人々が山に親しみ、限りなく自然を満喫していますが、その中で氷河時代からの遺存植物であり、高山の厳しい環境の中で生存してきた「高山植物」が心ないマニアによって盗掘され、絶滅の危機に瀕しています。自然公園法や森林法などでは、すべての地域において高山植物の採取が禁止されていますが、その規制は十分とは言えません。
そのため危機感を抱いた全国の有志が民間の立場で保護しようと平成元年に日本高山植物保護協会を設立し保護運動に乗りだしました現在では各自治体が条例を制定して保護をしていますが、それでも高山植物を取り巻く環境は悪化するばかりです。このような状況の中、この運動の輪を大きく広げ、さらなる飛躍を願って16年5月、特定非営利活動法人として日本高山植物保護協会は新たな出発をいたしました。
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NPO法人日本高山植物保護協会
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本
部
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〒400-0858甲府市相生1丁目1番9号
相生ビル2F
TELFAX055-233-5857
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北信濃支部
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〒380-0824長野市南石堂町1420ナガノスポーツ内
TEL026-226-2516
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